うたのたね
〜おんがくのはじまり〜
小さな小さな人たちと
これから生まれる人たちへ
はっぱから こぼれおちた ことばやうたに
雨のしずくをまぜあわせると
こんなにおいしくなりました!
さぁ どうぞ めしあがれ・・・!
“人生の夜明けの時” を生きるこどもたちへ
ほしを見つけて 「み〜つけた!」
おはなを見つけて 「きれいだな〜〜〜」
それが 音楽のはじまり 〜うたのたね〜
構成演出/宇佐美陽一
舞台美術/島次郎
出演/はらだまほ 原田正俊 川中美樹
対象/0〜30ヶ月親子
上演時間/約45分(開場〜10分程度 上演約25分 あそびのひろば10分程度)
定員/50名(0才も数えて)
上演実績/おやこ劇場子ども劇場、公立文化施設等
上演に際して/仕込み3時間 会場舞台サイズ間口9m奥行き9m 平土間
どんな作品?
この作品は、人生の夜明けの時を生きるこどもたちに “音楽のはじまりを届けたい” との願いから生まれました。
音楽のはじまりってなんだろう?
それは、風のざわめき、雨の音、小鳥のさえずり・・・そんなものかもしれません。
小さな人たちが出会う、生まれて初めての舞台。
そう思って私たちが創った作品は、完成された「うた」ではなく、「物語」でもなく、日本に古くから伝わる「うた」や「ことば」のかけらと「動き」、そしてその季節ならではの空気感が漂う作品となりました。
春には たんぽぽ たんぽぽ・・・
夏には な〜み な〜み・・・
秋には と〜んぼ とんぼ・・・
冬には あめこんこん ゆきこんこん・・・
全体は3つの部分からできています
最初はゆったり遊ぼう。
会場に置いてある小さな布や羊毛ボールで思い思いに遊んで まずはリラックス。みんなが揃ったら会場の中へ。
そこでは、季節の喜びが日本語の持つ美しさや愉しさ、そしてゆったりとした動きと共に綴られます。
ごろんと寝転んでもいいし、
一緒にうたったり動いたりしても大丈夫。
それぞれの<うたのたね>を楽しんで、最後はみんなで輪になって、うたいながらまたゆるゆると会場の外へ。
そこには、今、使われた音具(音のでるもの)などが置いてあり、こどもたちは余韻を楽しみながら 満足するまで遊んで過ごします。
小さい人たちが初めての場所でも緊張しないで過ごせるよう 配慮や工夫がされています。
日本の伝統文化であるわらべうたを中心にゆったりとした空間で、全ての人々の五感に働きかける作品です。
うたのたねがうまれるまで
ふわふわ山の音楽会の上演を重ねるうちに、だんだんとこどもたちの持つ “ 観る力 ” “ 聴く力 ” “ 感じる力 ” の凄さに触発され、この、人生の夜明けの時を生きるこどもたちに、音楽のはじまりを届けたい!と思うようになりました。
そして、生まれたのがこの作品です。
うたのたねの上演を通して
うたのたねの上演を通して、私たちは、この小さな小さな人たちが、実は、「人として生きていく上で何が一番大切なのか」を知っている!ということに気付かされました。これは本当に驚きでした。
きっと私たち大人は、この小さなパートナーたちと束の間歩むことで、長い人生の中で忘れてしまっている<本当に大切なもの>を思い出させてもらえる貴重な時間をもらっているのだ・・・そんな風に思うこの頃です。
うたのたねを創るにあたり
0〜3才くらいまでのこどもたちは、からだそのものはまだよく思い通りに動かせないのですが、こころはもう本当に驚くばかりにぐんぐんと動いていて、自分のまわりのお母さんやお父さん、兄弟や部屋の中の物たちにいきいきと関わっています。ですから、そんな小さなこどもたちには、じっくりと観て、感じられるゆっくりとした動きを中心に演出していくことを考えました。こどもたちの感覚/感性を包み込み、模倣する力が十分に発揮できる観劇環境を整えることを大切にして創った作品です。
(演出:宇佐美陽一)
うたのたねをみて・・・
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優しい声と優しい色と優しい雰囲気の音楽会で、おとぎの国に来たような気持ちになりました。
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口をあけて目を見はるこどもの顔はステキでした。うっとりするような至福の時でありました。最近特に活発になり、大きな声を出すことも多かったのですが、うたのたねの間は何か言うことはありましたが、騒ぐことは全くなくて、その場の雰囲気を味わい、浸っていたようでした。そんな娘の姿が見られたこと、そんな時間を共有できたこと、心から幸せです。
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中に出てくるうたをまねしながらしっかりと目で追っていました。ステキな空間を感じることができ、最近こういう感覚を忘れていたなぁ〜と思いました。ありがとう。
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何かに包まれたようなあったかい空気を感じました。静かで幻想的な時間でした。
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ほのかな明かりの中、あたたかく語るような歌声が響き、遠い昔に火を囲んで暮らしていた時代に戻っていく感覚になりました。ゆったりとした役者さんの動きに引き込まれ、からだの芯のコリ固まったところがゆるりとなりました。観るひと、演じるひととの壁がなくなり、一体感にひたりました。劇でない劇、私の中の原始の感覚が喜んでいました。だから、小さい子どもたちの目を輝かせるのでしょうね。